昨日、今日と強行日程で岩手県大槌町、遠野市に職場の被災地支援プロジェクトの調整・打ち合わせに行ってきた。
震災から3ヶ月経った現場を見る。
テレビでずっと見ていて、ある意味慣れてしまっていた海辺の光景を目の当たりにする。1ヶ月前に現地に来ていた上司は、「ずいぶんきれいになったわ」と言うが、車や舟が横転し、ビルや家屋が破壊されている姿は胸を突くものがある。震災直後にはどんな様子だったのか、それはもはや想像することはできない。
テレビの前で報道みていつももどかしく感じていた。
でも、やはり目で見て、言葉を聞き、肌で触れ、匂いをかぎ、感じる事の重要さを身にしみてわかった。当事者意識を持つ事が出来た気がする。
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現場に向かう先々で、「支援ありがとう!」「支援に感謝しています!」「私たちも頑張ります!」「顔晴ろう!」と書かれた垂れ幕や看板などがある。それをみると、現地の人々の方が逞しく、こちらが元気づけられる。それらはあまたあり、写真に収めたかったが、運転要員だったため諦める。
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今回、職場の支援プロジェクト(現地の方々に震災前の暮らしと復興後の街のビジョンをお聞きし、過去と現在と未来をつなぐプロジェクト。)について、住民の方、中間支援NPO、自治体の方と話をしてきたのだが、先方から出る印象的な言葉がいくつもあった。
避難所に役場の方々が来て、これからの復興計画について話をしているところに立ち会う機会を得た。そのとき、住民の方は、
「偉い学者さんなどが来ていらっしゃるようだが、専門家任せじゃないまちづくりをしてほしい。この地域を知っているのは自分たち自身なんだ。自分たちの意見をどうか汲み取っていただきたい」
と言っていた。
また、私たちと避難所の方々と円座になってプロジェクトの説明をしているときには、
「仮設住宅は徐々に準備されつつあるが、今必要なのは、衣・食・住ではない。医・職・住だよ。」
と言っていらした。本当にその通りである。
「避難所の中でいろんな付き合いが出来たのも良かったわ。でも、やっぱり自分のペースで生活したいの」
ともおっしゃった。(ちなみに言った避難所は、パーテションもなく、カップラーメンが配給されていた。)
「そりゃ、仮設住宅ができるにこしたことはない。抽選だろうが何だろうが、早く入りたいね。でも贅沢を言えば、鉄筋じゃなくて木造がいいよ。」
「夢でもいいから、住民の、住民による復興計画をつくりたいね!その思いを描くのを手伝ってよ。」と嬉しい言葉をいただく事も。
(今回は井上ひさしの小説の舞台である大槌町の吉里吉里地区の避難所に行ったのだが、ここの方々はとても結束力が強く、協力し合いながら生活を送っているという。そのせいか、とても明るく、前向きに過ごしておられた。(物資の配給を、バナナの叩き売りのように楽しそうに渡し、受け取っている姿がとても微笑ましかったです))
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そして、最後に訪れた町役場では、とてもアツい役場職員の方に会うことができた。ちなみに大槌町は町長を始め、多くの職員の方がなくなってしまっている。その中で、不眠不休、「疲労困憊」の字も書けないくらい疲労困憊しているというのだが、その方が語った言葉が忘れられない。
「画一的な復興計画ではなく、以前から存在する地域のアイデンティティや息づかい、風土がわかる復興をしていかなくちゃならない」
「そりゃ、震災直後に比べれば時間的な余裕も出てきたけれど、職・住が「無い」状態は変わっていない。でもね、明日が「ある」。そう考えて前向きにやってますよ!」
「私ね、がれきの中で、もう泣くことも出来なかった。そして、笑ったんですよ。そこで覚悟が決められた。前に進む覚悟をね。」
「これを言ったときはバカにされたんですけどね、『何が欲しい?』と聞かれた時、こう応えました。『愛と知性が欲しい!』ってね。愛ですよ、こういう状況の時、物事を動かすのは。あ、宗教とかじゃないですよ。」
自分にとって永遠のテーマである「愛」がここでも聞けるとは思わなかった。
これから築かれる東北との「縁=つながり=愛」を大事に、仕事をしていきたいと思った2日間だった。
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