9時前に高尾の研修所からタクシーに乗り込む。
タクシーの運転手にこれから南三陸町に行くことと話すと、なぜか運転手の昔の彼女の話になる。
その彼女は宮古にいて震災で亡くなったらしい。30年以上も前の関係であり、運転手さんは連絡も取っていなかったけれど、新聞で同姓同名の名前があり、電話等で確認をしたとのことだった。
亡くなったことがわかった時、とてもつらく3日間以上人と話す気を無くしてしまったとのこと。
でも息子さんにその話をしたら一緒に墓参りをしてくれると言ってくれたそうだ。
バックミラーから私を見る運転手さんは悲しくもあり、でもどこか暖かな目をしていた気がする。
もし、自分の好きだった人や大事な人が、もう関係が途絶えていたとしてさえ亡くなったら、どんな気持ちになるだろう。考えると苦しくなった。
だから、身近な人や地域に被害者を持たない外部の人間である自分が「活動」を行うことに、どこか違和感を覚える。少なくとも「支援」と言う言葉を自分が使うことはおこがましいとさえ思う。
そんななか、今日も被災地に向かっている。
地元の若い人たちが集まり、「南三陸の懐かしい未来を実現する会」が行う「なつ地図祭り」の手伝いをするために。
このイベントは主体が地元であり、地元のために動いているイベント。
おこがましさは感じず、楽しみにしている自分がいる。
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