12日の朝に高尾から東京駅に向かう。
蒸し暑いうえに、東京駅は帰省をする人たちで賑わっている。
指定席が取れなかったため、1時間近く自由席を確保するために東北新幹線の列に並ぶ。
無事に自由席を確保し、レンタカーに乗り継ぎ、夕方前に初めて南三陸の地に着く。
大槌町と同じく、廃墟となったビルと山積みにされたがれきと呼ばれるものがだだっ広く目の前に広がる。
13日、前日に仕事は済ませておいたけれど、今回はプライベート&仕事で「
南三陸町の懐かしい未来を実現する会」のイベント「なつ地図まつり」にスタッフとして参加する。
大きく大きく出力した町の白地図に、住民の方々に来てもらい、被災前の思い出や記憶を思い思いに描いてもらうという企画。東京のミーティングに出た時、まさか担当を任されるとは思っていなかったし、当日まで仕事に追われて全く関わることができなかったので、当日を楽しみにしながらも心配しながら迎えていた。
でも、そんな心配は必要なかった。ワークショップで著名な中野民生さんなども同じ場所を担当する事になったし、なによりもその「場」を作り出したのは、地図を描き出す人たちだったから。
現場となった志津川高校の大きい教室が開場されると、様々な人が訪れ、用意してあった巨大な白地図に、友だちの家、遊んだ場所、美味しいお店、買い食いした場所、寄り道した場所、買い物通り、市がひかれる場所、デートスポット、町の遺跡、歴史、ご近所さん、海産物、etc.
などなどなどなど、こちらが寄り添うと、勝手にその人の記憶の扉が開かれて、次々と町の歴史と記憶が描かれていった。
ある人は、隣近所40軒近くをすらすらと書き込んだ。
ある人は、その町に言い伝えられる物語を書き込んだ。
ある人は、子ども時代に遊んだ公園の風景を細かく描いた。
ある人は、あるバーに80歳近いママが唱う田原俊彦の「抱きしめてトゥナイト」が最高だと絶賛した。
地図の上で、周りで、みんなが悲壮感を漂わす事はなく、微笑みながら、懐かしみながら、時に談笑していた。確かに素敵な時間が流れていた。その空間は僕らが作り出したものではなく、そこの町の人々が作り出していた。
そんな風景を見ながら、
「以前」の町の様子を知らない自分も、その町を知った気分になった。
「以前」の町に行きたくなった。
「以前」の町の『近所力』をまざまざと感じ、そんな町をうらやましく思った。
「これから」の町に期待した。
(最後は南三陸の「こども夢花火」を見ることができ、いい夏を締めくくれました。)
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