(前回からの続き)
フェスティバル終了後、Kanlunganの車に同乗させてもらい、Kanlunganのセンターへ。昨日、施設内で子どもたちと触れ合う事が出来なかったため、一緒に食事して、音楽を聴いたり、バトミントンしたり、食器を一緒に洗ったり(本当は手伝ってはいけなかったらしい)していたら、あっという間に21:00前。
最後に聞いてみた。どうして、ここの子どもたちは、こんなにも明るいのかと。
そしたら、「偉大な存在(神)に気づくからです。家族や社会に見放されたと思っていても、つながりがあることを信じる事が出来れば、立ち直る事が可能なんです。」と言う答え。
なるほど。
俺は、宗教には属していないけれど、共感できるものはある。神という存在ではなくても、それが地球であったり、自然であったり、自分の心であったり、家族であったり、その形態は、人それぞれだと思う。
そのつながりが回復できたとき、子どもたちのこころも回復する事が出来ることは易く想像できる。
却って、日本の社会の方が、「うさんくさい」「めんどうくさい」という言葉や「スピリチュアル」という言葉に翻弄されて、大切なつながりを忘れていないかな。
話しがずれた。
帰ろうとすると、一人の子が「今日は、ここで寝ないの?」と聞いてくる。
「明日仕事だから、帰らないと」、と言うと、見送ってくれると言う。
施設をでて、挨拶して、ハグをしても、まだ見送ってくれると言う。
スタッフの方と彼が一緒に大通りの交差点までついて来てくれる。
最後にもう一度、また会おうね、と言って、お別れをする。
少し歩いて振り返ると、まだ見ていてくれている。大きく手を振る。
踵を返す。少し歩いてまた振り返ると、まだ手を振ってくれている。
そんなことを何度と繰り返しただろうか。
涙腺が緩んで来た。
お互いが見えなくなるまで、手を振りあい続ける。
彼が家族の元に帰れたとしても、絶対にまた訪れよう。子どもたちに会いに来よう。
子どもたちのために、何かしよう。何かしたい。そう思った。
帰国後、成田エキスプレスで早速携帯の電源を入れ、メールをチェックしていると、Kanlunganを支援している団体の日本人スタッフの方からメールが来ていた。
そこには、見送ってくれた彼(ブライアン)とスタッフの彼女とのやり取りが。
〜以下、メールを抜粋〜〜
ブライアン「あのKuya(兄)はどこに行ったの?」
私「『あの』って?Kuya○○?」
ブ「違う...一緒にお見送りした...」
私「あ〜Kuya.Ken?」
ブ「うん!Kuyaは?どこにいるの?今日来てくれるって?」
私「う〜ん、Kuya、今日はもう来れないんだって。
木曜日には、Kuyaの国に帰るって言ってたよ」
ブ「また来てくれるって?」
私「うん、また、ブライアンにも会いに来るって
言ってくれてたよ」
ブ「いつ?」
私「それはまだ分かんないけど...。でも、きっとね!
あ〜ブライアン、Kuyaのこと恋しいんでしょ〜?」
ブ「うん」
私「じゃ、Kuyaにブライアンが『恋し〜』って
言ってたってお手紙してもいい?」
ブ「うん!」
あの時と同じ、少し寂しそうな表情を見せながら、
だだっ子のようになっていましたが、また、
きっと戻って来てくれるよ〜と伝えると、
とても嬉しそうにしていました
〜〜〜
メールを読んだら、また涙腺が緩んで、今度は本当に涙が出て来た。
(子どもたちが夕食後ギターの練習をしていた。暗くて見えないが。。。)
(彼らがうたう様子)
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