久しぶりに新幹線に乗ると、すこし偉くなった気分になる。
大人になったような。
小さい時、親父に新幹線に乗っけてもらったのに、車内では超合金でずっと遊んでいて
親父にあきれられた思い出も、ふっとよみがえる。
降り立った二本松は、群馬と同じくらいでさほど寒くない。
バスに乗り換えて、目的地を目指す。
途中で乗ってきた小学生が、「今日ね、あいつの背中にシャーペンをさしてやったんだ!でも、全然痛がってなかったんだー」「おれねー、A君の頭に尖った鉛筆さしたことあるー」などと、まったく悪びれた様子もなく、残酷なことを話している。俺は、その映像を想像して恐くなったんですけど。
この前来たときは、「俺のじいちゃん、うんこしてくさーい♪」って歌ってたっけな。
そんな彼らが降りるのを見届ける。半袖半ズボンでサッソウと駆けていく。俺は、上着3枚+コートなのに。
今日は、機会をもらって今の活動を話してきた。そこには、協力隊活動後に漆工芸家になった村上さんも一緒であった。村上さんは、漆工芸という文化がなくなってしまうのは、仕方が無い。
でも、なくなってしまうのはもったいない。と思い、今の活動をしているそう。
その方の語る口調は、まさに職人。
芯を持って生きてるんだってことを、少ない言葉で、多くを語る。
すごくかっこ良かった。
そんな村上さんは、今度代官山のお店で
個展を開くそう。「恥ずかしいから、こないでください」と言われたけれど、覗いてみよう。
帰り道、郡山まで村上さんの車で送ってもらう。
30分ほどの車内の会話であったけれど、お金のためじゃなくて、どうしていまの活動をしているか、
どうやって生きていくのか、何を信念にして生きているのか、
男は人を食わせるために生きていかなければならない、そういう意味で女性と男性では役割は違う、
なんてかなりいろいろなことを語り合う。
講演では自分の活動について自信満々にしゃべったけれど、どうして、俺って今の活動しているんだろう?何のために、誰のために?
村上さんと別れた帰りの車内で、今までも時々頭に浮かんでいたフレーズを、ずっと繰り返していた。
「地域のために」とか「人のために」とか、言っているけれど、どこかこそばゆい。
高崎に到着する前に、キリスト教でもない自分の頭に浮かんだ一つの言葉。
「アイ」
すごく陳腐で、カタカナにしないと記述できないくらい、言うのも恥ずかしい言葉だけれど、
それがキーワードなのかも、と。
確かに恋人もいないし、自分の世帯も無い。手に入る可能性も未知(汗)。
けれど、人々への愛だったり、地域への愛だったり、自然への愛だったり。
その言葉は、置き換えると「つながり」なのか。
そんなものを少しでも、どこかのだれかに、増幅させるために、今の活動があるのかな。
最近、立ち上げた「純愛」というブランド名も、こりゃ運命か。
でも、今の自分には、そんなものを持ち合わせているとは思えない。
そんなやつが、今の活動を成功させることできんのか?
自分の活動をかっこよく正当化させたけれど、また疑問に陥って、
21:00新幹線を降りる。
駅前のヤマダ電機本社で、遅い夕食のために、冷凍うどんとちょっと奮発してプレミアムモルツを買う。
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