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北緯15° 西経91.5°LOVE & CULTURE MAKE PEACE! Our Smiles Make Other's Smile.

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その強気には賛成

先日、友だちを引き連れて、俺がやりたいなと思っている仕事をしている会社のお食事に行ってきた。そこでは毎日、外の人を数名呼んでお昼を食べながら、雑談や交流をしているという。
そのシステムに乗っかっていってきたのだけれど、オフィスがすげーおしゃれでびっくりしたのはともかく、俺が「貴社のような仕事をしていきたいんです。」と自己紹介ながら言ったら、相手は「競合ですね」と返してきて、「絶対、うちらのやり方はしゃべらねー」と冗談1/4、本気3/4くらいで返してきた。

結局か、当然か、昼食は友だちの仕事の話しなどがメインになったわけだ。

俺は、ただ情報交換できて、お互いwin-winの関係でも築ければいいなと思って言ったわけだが、相手は、「今まで俺たちが努力してやってきたことを踏み台にして、やられちゃ困る」モードだったわけだ。

その気持ちは、痛いほどよくわかる。

わかるけれども、必ずしも、仕事の方向が同じだとしても、同じ内容のサービスになるとは限らないし、もし、競合してしまったのなら、努力するか、共生か、退散かを選ぶわけだ。どの道を選ぶかもわからないのに、コミュニケーションを断絶してしまうのは、このオープンとかシェアとかが全盛期で隠し事なんてあまりできないような社会では、少し違和感を覚えるなぁ。(企業秘密という技術やシステムなどは別として)

でも、一番共感したのは、その人の仕事に対する気持ちや気概。
社会貢献の分野の人たちの、「絶対成功してみせる!」という力強さや、「サバイバルしていくぜ!」という気概は、外の人にはなかなか伝わりにくいものだし、伝えづらいものがある。

でも、その力強い気持ちは、これからの人たちが「食っていく=生きていく」ためには必要なんだと、こんな草食系男子でも最近思うんです。
ただ、お金が降ってくるよう仕事をしているというのは、もうそろそろできないと思うから。
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なんでも屋

会社をおこして、
「主な事業は?」
と聞かれることが多いです。

面倒くさいと
「農産物の販売」
ですなどと応えてしまうのだけれど、
実は、まだ確固たる事業ができていないのが本音です。

農家と希少価値のある農産物にスポットをあてたギフト事業
国際協力のスタディーツアーの企画
ライブの企画
農村交流ツアーのコーディネート
と言うのはあるけれど、それで飯が食えるわけではない。
それで飯を食えるようにしなければならない。

あべこべで、つぎはぎのような仕事たち。
それは今までの自分のしてきたことの結果でもあります。
青年海外協力隊で「村落開発普及員」になったときに、その職種が「何でも屋」とも言われていて、
それが今の自分につながっていないとは言い切れない気もします。
ITをやり、カフェをやり、国際協力をやり、NPOではそれこそ農村開発やイベント企画までなんでもやったつもりです。
(周りには全て中途半端に映っているかもしれないのは否めません)

だから、いま、何屋かと問われてあえて言うならば、
「何でも屋」
と、心で応えています。

地元でお世話になっているカフェ屋さんに、
「ユニココ(自分の会社名)も良いけど、私は『若尾企画』がいい」
と言ってくれたのは、正直嬉しかったです。

もちろん、
根っこには、「地域を楽しく、元気にする」という軸は持っています。
そのために、
農産物のギフトから輸出入、イベントの企画・運営、国際協力となんでもござれです。
そこには、自分なりに100%以上の力をかけていくつもりです。
そして100%の出来に思われるような仕事をしていきたいです。

そんな僕ですが、3月、4月にイベントを控えています。
もし興味がある人がいたら、声をかけてくれたら嬉しいです。

3/16 スイートでビターな「いちご物語(春)」~食と農の体験交流会~

4/7  奇妙礼太郎 弾き語りワンマンライブ in 高崎


それでも社長なので、事業計画はしっかりと描かないとね。

お金について

会社を立ち上げてから、「お金」について考えることが多い。
首が回らないということではなく、
お金って、何のために必要なんだろう。とか、
自分のしたいことをするために、これだけのお金が必要だ。とか、
これだけ食って行くためには、これだけ稼ぐことが必要だ。とか、
考えるようになったんです。

ようやくかよ。

普通の社会人だったら、そのくらいのことは考えるのは当たり前のなのかもしれないが、
ある意味、俺はITバブルの時に会社に入って、はじける前に会社を辞め、協力隊に行き、
そこでは税金で食べさせてもらっていた。次のNPO時代は、もちろん組織を成立させるために
自分の給料を稼ぐためにも、仕事を取ってきて、それをこなすというマインドを持つことになった。
でも、お金に関しては、当然あるものという意識が強かったと思う。

で、今は、会社を立ち上げて、もちろん自分が食って行けて、そのうえで、
自分の目的や理念を達成できるような仕事ができるように、稼がなければ行かなければならない。
自分のしたいことをするために、日々の生活をするためには、今の自分にはお金が必要だ。
お金は自分で生み出すものという意識を持つようになったのかもしれない。

電車に乗る時、田無駅から新宿駅までは260円。260円を自分のお金にするためには、どれだけの仕事をして売り上げを出さなければならないかなぁ、なんて考えるようになっている。

当たり前か。

もちろん、自分は経済至上主義ではないし、お金が第一の生活なんてまっぴらだし、
会社の理念や、俺の理想は最低限のお金で事足りる社会・地域をつくること。

その社会を作るためにも、今はお金を有効に活用し、どう動くのか把握できるようになって、それに惑わされないように、そして操れるようになって、お金というものに縛られずに生きていければいいなと思うんだよね。

支離滅裂になってきたけれど、イケダハヤトの「年収150万円で僕らは自由に生きていく」という本を読んで、自分なりにお金とどう付き合うか考えて、この日記を書いています。

ちなみにこの本、「脱お金」をうたっていて、これからの貧乏社会にむけてどういう立場を取っていけば良いかということが、ソーシャル的に書かれている。共感できる部分は多いのだけれど、書いている文章の裏付けや分析がいまいちで、重みが無くなって、ずんと伝わって来ないのが残念。
それならば、坂口恭平の「独立国家〜」の方がはちゃめちゃな文章なのに、彼の感情が剥き出しになっていて伝わってくるものがあって面白かったなぁ。
これからの社会とどう向き合うかという観点を考えるきっかけの本として、この二つの本はおすすめ。

脱線したけれど、結局の所、俺もお金は必要最小限で良いと思う。モノが会って当然、食べられて当然、サービスを受けられて当然という時代から、もっと自立と共生(というと難しく聞こえるが)を念頭において、自分たちでモノ、食、サービスをどう生み出していき、共有していくかという時代にしていかなくちゃいけないと思うのです。
それが強い人間の集まり=国家でしょ?軍事力じゃないんだよ。
そのためには、あらゆるものと「つながる」必要があるんだよね。

新年のごあいさつ

あけましておめでとうございます。
本年も公私共々よろしくお願いいたします。

大分ご無沙汰をしていました。

12月の末にようやく会社設立のもろもろの手続きを終えることができて、ほっとしている所です。
その手続きを終えて、株式会社ユニココが立ち上がりました!ぱちぱちぱち。
ホームページも正月を使って、SE時代を思い出しながら、コードやスクリプトを解読しつつ、作ることができました。一度、覗いてくれたら嬉しいです。http://uni-coco.comです。

さて、このブログをどうしようかなと迷っていましたが、協力隊時代から書き連ねてきたブログですので、書き続けていくことにします。このブログは、本当に個人的なことを書き、
会社のブログはまた別にあるので、会社的なことや社長的なこと(笑)は、そこに書いていくことにします。

ということで、とりあえず、会社を設立しました。
昨今の悩みは、「何で生計を立てていくか」です(笑)
おい!それ決めないで会社設立したのかよ!と突っ込まれるのはわかっています。
その辺のいきさつは、また今度。

明日は、会計士さんに会ってきます!

原点のグアテマラ【家族観】

今、僕が地域に関する仕事をしているのは、グアテマラでの2年間の経験があったから。その実生活から学んだことが大きく自分に影響を与えている。それは、人々の人生のテリトリーが狭いこと。それは、いまでいう「つながり」だと思う。すぐ近くで主食のとうもろこしが栽培され、売られ、買われ、食べられる=生産と消費の距離が短いこと。ということは、人々と自然の距離も当然近くなる。そして、仕事の時間よりも家族の時間を大事にする=家族がいつも近くにいる→そんな家族が集まる→地域がコンパクトにまとまる→地域内でものごとが循環される。
今、コンパクトシティなんてかっこいい言葉があるけれど、それは昔からあったことを懐古していることに過ぎないだな、と気づいた。日本もそうなれば良いのにって思って活動している。

だから、自分の身の回りにある、あらゆるものとの距離感を近くに感じることができる、そんなことが大事だと思わせてくれたグアテマラの家族が大好きだ。
 

まぁ、日本に帰ってくると、自分の母親とはケンカばかりなのだけれどね(笑)

11月にそんな家族に会いにいったときの写真。

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到着すると、ウエルカムボードならぬ、ウエルカム紙。泣いた。

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到着したのが誕生日翌日だったので、祝ってもらった。

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この家族と出会うきっかけとなった、俺の弟ビニシオ。


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お父さん。働き者で、強くて、優しい。

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大好きなお母さん。叱ってくれて、優しい。
そして、5年前にはいなかった兄弟の子どもたち。

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俺のことを知らないのに、ずっと待っていてくれたんだって。
この写真、オッパイもんでるみたいだ。

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兄のロレンソ。こう見えて、いちばん気遣い屋さん

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弟のwalter。今回、送迎とかいろんなことをしてくれた。

帰るときは、手を大きく振って笑顔で別れた。
けれど、飛行機が離陸したとたんに涙が止まらなかった。
仕事を頑張って、また会いに来ようと誓った。
大好きです。いつも愛を教えてくれてありがとう。



しかし、5年前に比べてみんな太ったなぁ。