「若尾君、男は優しいだけじゃ駄目だよ。強くなきゃ。」
「いやいや、Sさん、僕の事を全然知りませんね!」
と、この農家さんとはかなり白熱したやりとりが続く。
その農家さんの話は農業の話だけではなく、政治の話、人生観と多岐にわたり、それも的をついていることばかりでいつもはっとさせられる。
以前、Sさん曰く、
「最近の日本がおかしいのはさ、『間』がねえからなんだよ。」
と言っていた。
「間を無くして得たものは便利って言うもんさ。昔はそりゃ、不便だったさ。薪は取りに行かなきゃならんし、水は汲みに行かなきゃならない。町まで何キロも歩いたもんだよ。今は、ガスもありぁ、水もひねれば出る。便利になったもんだ。でもよ、水を汲みに行きゃ、水汲み場で近所の人と会話は出来たし、薪だって家族が協力しあって取りに行った。町に行くときゃ誰かに会わずにいられんから挨拶と会話ができたもんさ。それが、今じゃ、だれとも会わなくたって生活できらぁ。
人っつうのはさ、一人じゃ生けて行けないんだよ。人にはさ、『間』が必要なんだよ。人と触れ合う時間が必要なんだよ。そんな間がなくなって、人と接しなくなったから、簡単に人をナイフで刺しちゃうんだよ。」
納得せずにいられなかった。
スロースローと言われて久しいが、この農家さんに言わせれば、それは「間」なのだろう。
人には、その生きる環境を、また生きる環境を作り上げるモノを見つめる時間が必要だ。
自分であり、家族であり、近所であり、地域であり、日本であり、世界であり、地球である。
便利になればなるほど、本来得られるはずの間=時間=余裕がなくなる。
その矛盾を解決できるような意識改革が必要なのかもしれない。